2021年03月22日

江戸時代の城下町



明治時代から も少し遡って
江戸時代に来てみました。

しかし、この地図の解説が何一つできません。
ごめんなさい。江戸時代生まれの知人がいません(笑)
あー、
博物館の学芸員さんに解説してもらいたい!!


江戸時代2.jpg


天ぷらの保立さんがある「桜橋」から
中城通りです。


中城通り(水戸街道)に
「追手先木戸際より桜川詰迄百五十間」とあります。
つまり、保立さんのお店(桜橋交差点)から273mのあたり、
今のときわ木さんのお店の先の路地を土浦小学校のほうへ曲がる所に
追手先木戸があったのですねー。
確かに土浦小学校(旧土浦幼稚園の正門)脇に
「大手門の跡」と石碑が立っていますね。



川を境にその先田宿町へ続きます。


江戸時代.jpg


さすがに東光寺や等覚寺は安定の場所にあります。
大手町と大町の境界となる八間通から続く国道は、この時代は川でした。
その先(大町)に「桝形」とあるのでググッてみました。
「城の一の門と二の門との間にある方形の広場。出陣の際、兵の集まる所。
侵入した敵軍の動きを妨げる効果もある。」とありました。

なるほど。

しかし、現代のキラキラネームとは違って
男気溢れるお名前ばかり。
この時代を見習ってほしいわー
光宙(ぴかちゅう)だの聖闘(せいんと)だの
美気意(みっきー)だの・・・おばちゃんはイライラします(笑)
あ、話がそれましたね。

皆様のご先祖様は、おられましたか?

posted by キララちゃん at 15:28| Comment(0) | 日記
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